NDO::Weblog: 不安定な受験生の心理確かに、同じような目にあって受験できなかった人たちというのはたくさんいるわけで、平等かどうかという目で見てしまうとどうなんだという話もあるんだけど、この会場を間違った本人の当時の様子を想像すると、そういう気分にはならない。
青臭いとかいいながらも、こっ恥ずかしいとか思いながらも
しゃべり場が気になってしまったりするのは
自分にもそういう時期があったからだと思う今日この頃。
NDO::WEBLOGさんで取り上げられていた受験生の話もそうだなぁと。
受験生の心理ってほんとに異常な状態になってますよね。
試験当日なんて特に。
それを通過してしまった大人は後から振り返って
「結局受験なんてたいしたことない」とか
「それで人生全て決まるわけじゃない」といって
軽く流してしまいがちなんですが
彼らは人生の全てをかけた局面にいる。
そこにある感覚の差に無自覚なまま
そういう言葉を発してしまうのはちょっとな、と
思ってみたり。
人生の厳しさを知ることも大事だろうけど
人情の厚さを知ることも大切なんじゃないか
とか柄にも無いことを言ってみる。
これで何かを甘く見るようなことがあったとして
次も同じように助けてもらえるとは限らないわけだし
そんなことぐらいはおそらくわかるはず。
断られた人がいたとしてそれはある意味当然なので
それはそれでいいんじゃないのかな。
って、自分がそうだったとしたら心中穏やかじゃないかも。
それこそ過ぎた感覚だから軽く言えるのかもしれない。
JRだとかパトカーだとかそういった公共的な立場にあると
公平性っていうのが問題になって
いろいろと難しいことはあるんですけどね。
あと、京田辺と今出川はめちゃめちゃ離れてます。