装飾としてのデザインと設計としてのデザイン。
デザインにできること。
デザインの思想と手法。
ものつくりのセンス:Taste for Makers
ユニバーサルデザインという陰謀:Wellinton's blog
どちらもいろいろと残る言葉がある文章。
まだそれをまとめられる状態ではないけれど
これからも何度か読み返してみたいと思った。
上にあげた2つのリンクからは少しずれるけれど
センスという言葉の使われかたが気になってきた。
webデザインをスクールで教える先生の立場の人の間でも
「センス」という言葉の使い方には大きな差があるようだ。
曰く、「センスいいね・悪いね」
曰く、「センスは磨くモノだ」
曰く、「センスは身につけるものだ」
曰く、「その辺りは個人のセンスにまかせる。」
曰く、「どういうセンスしてるんだ」等々。
個々別々に違うモノととらえる、
ある程度の共通解があるものとしてとらえる、
生来のモノとしてとらえる、
勉強することで得ることのできる知識のようなものととらえる、
磨いていくことで得られる技術のようなものととらえる。
意識的であれ無意識的であれ
そういうセンスという言葉の使われかたの揺れの大きさは
センスという言葉を使うことで何かを煙にまいているような
そんな雰囲気を作ってはいないだろうか。
センスって何だろう。
ぼくの妄想駄文はどうでもよいとして、kengochiさん、とんでもなく壮大な話に片足突っ込もうとしているような気が(笑)。むずいですねえ。とりあえずざっと目を通してみて、「単純である」「簡単に見える」「しばしば大胆だ」この辺かなあ、とか思ったり。アップルっぽい気が(笑)。
Wellintonさんこんにちは。
確かにアップルはそういう要素ありますよね。
センスやデザインという言葉を何の考えもなく
よく使ってるなぁということと
デザインにできることを最近考えることが多いので
そのための手がかり、きっかけにといった感じですね。
本気ではいりこみだすと大変だというのは感じてます(笑)