ついに始まってしまった。
戦争は始めたい奴がいてそいつがどうしても始めるといえば
止めることはできないということを改めて知らされた。
昨日のディクシー・チップスの記事もそうだけど
どうも全体主義的な雰囲気が感じられる。
言論の自由が保障された民主国家(のはずの)アメリカが
あんな状態になってしまうのを見ると
アメリカ人はアホだとかそんな言葉で片づけられなくなる。
イラクや北朝鮮の場合は情報の遮断であったり恐怖政治であったり
そういうものを取り除けば民主的な国家になるのかもしれないが
首領様万歳を叫ぶ北朝鮮人民と今のアメリカが
なんとなくオーバーラップして感じられてしまうのはなぜだろう。
フセインを打倒してもビン・ラディンは死なないしアルカイダは壊滅しない。
アフガン戦争の後と同じようなことが今回の戦争の後にも起こるのだろうか。
次はどこに振り上げた拳を持っていくのだろうか。
本当に心配だ…。
はじめまして。
kengochiさんのおっしゃるとおり、今の米国を見ていると、民主主義と全体主義という意味は同義なのかと思わせます。
この戦争に対して、そしてその後の世界に対して、私たちは何をするべきなのか、何を望むのか、改めて考えさせられます。
金土日とネットから離れていたこともあり
今日月曜にいろいろと見て回ると
いろんな意見・議論が出てきていました。
戦争反対、「この」戦争に反対、「この」戦争に賛成
といろいろな意見がありました。
それはそれでよいことなんだなと改めて実感。
ただ、アメリカでもニューヨークでは
反戦デモが行われていたりするようですね。
ニューヨークだけはちょっと違う
という話も聞いたりしますが
それでも反戦デモが可能ということは
よいことなんだろうと思います。
この戦争はアラブでの局地戦というだけではなく
国際政治を舞台にした「武力」を使わない
戦争という面もかなり明らかに見せましたよね。
国益と国益のぶつかり合い。
今後どうやって折り合いをつけていくのでしょうか。
はじめまして。
私は18歳の大学1年生です。講義で「民主主義」について討論をするということになり、参考としてこのサイトを読ませていただきました。今、自分の無知さ加減を大変恥ずかしく思っています。無条件に良いもので、理想であるべき民主主義が、現実にはこれだけの問題を抱えていながらも、なんの問題もなく機能しているであろう「理想の制度」として認識されている(少なくとも私の周りは)ことが、すごくむなしく愚かなことのように感じました。これを機に、この問題についてもっと深く考えてみようと思います。
はじめまして。
私は18歳の大学1年生です。講義で「民主主義」について討論をするということになり、参考としてこのサイトを読ませていただきました。今、自分の無知さ加減を大変恥ずかしく思っています。無条件に良いもので、理想であるべき民主主義が、現実にはこれだけの問題を抱えていながらも、なんの問題もなく機能しているであろう「理想の制度」として認識されている(少なくとも私の周りは)ことが、すごくむなしく愚かなことのように感じました。これを機に、この問題についてもっと深く考えてみようと思います。
>tomoさん
詳しく調べたり勉強したりしているわけではないですので
参考になるようなことを書いていたのかどうか自信はありませんが
「民主主義」を無条件で理想的なものと考えるのは
どうかなと思ってしまいます。
最前とは言えないが次善の策ではあるだろうという認識です。
僕も義務教育の間ぐらいには「民主主義」という言葉を
錦の御旗のように考えていた、というかそう教えられていたので
現実とのギャップを感じ始めたころはちょっとしたショックでした。
ナチスの独裁も選挙という民主的な手続きを踏んで達成された
ということもありますし
民主主義と民族主義の結びつきにも注意したほうがよいんだろうなと思います。
(ナチスの成り立ちや政策が全て民主的に行われたとは言いませんが)
Kengochiさんコメントありがとうございました。・・・やはり私の考え方は浅はかでしたね。討論会でも周りからするどくつっこまれてしまいました。皆それぞれの意見を持ってるようでしたが、今の民主主義のあり方に少なからず疑問を感じているという点は同じようでした。
民主主義・・・私にとっては難しい議題でした。討論会でも似たような意見はたくさんでましたが、こうあるべきだという明確な答えはでませんでした。こうするべきだという意見はたくさんでるんですが、どこか理想論のように聞こえてしまったり・・・難しいです。